れもんの散歩道

楽しいことみつけた

むかし話②

私の父と母は物を大切にする人だ。

 

子供の頃から父には「物にも魂があるから丁寧に接してあげなさい」と教えられた。

母はどちらかというとガサツなタイプだけど、結婚してからは父の繊細さに少しだけ感化されたような感じがある。

 

当然母の結婚前の様子は知らないけど、以前に母のお姉さん(叔母にあたる)から教えてもらった母の性格は、物にも魂が宿っているなどと、あまり深く物事を考えそうにない感じだった。良い意味で野生的で、直感で生きていくタイプなのだ。

 

私が小学校にあがったくらいの頃、父と2人でショッピングモールに出かけた日のことだ。

父と手をつなぎながら、エスカレータで1階から2階へと移動していたところ、当時私が目につくとすぐに飛びついていた"ガチャガチャ"があった。

今の時代のガチャガチャはいわゆる「はずれ」商品が入ってることはなく、ラインナップ商品のうちのいずれかが当たる仕組みになっているけど、数年前のガチャガチャは、どう考えても「はずれ」なふざけた景品も結構入っていた。

 

父はミニチュアの小物に目がないコレクター気質で、私の鬱陶しかったであろう「ガチャガチャやりたい!あれがほしい!」主張も割とすんなり聞き入れてくれた。

 

ポケットから小銭入れを取り出した父の横で、100円玉が降りてくるのを静かに待った。

 

さっそく父からもらった小銭をぎゅっと握りしめて、目当てのガチャガチャの目の前でかがんだ。

パッと後ろを振り向くと、すぐ近くのソファに腰を下ろした父の姿があって、"やりたいのを自分で回しておいで"と挑発的な表情で笑っていた。

私はガチャガチャケースの表に張り付いたラインナップをじっと見つめて、欲しい商品をぐりぐりと指でさした。

そこには色違いの商品が5種類ならんでいて、その中から特に惹かれる色にむかって「私はこれがほしいです」と心の中で訴えた。

 

いざ、ガチャガチャを回す瞬間になると緊張して、100円がうまく入らない。

ちょっと震えてる手を落ち着かせて、やっとの思いで100円を押し込んだのに、今度はレバーがうまく回せない。硬い。

ギブアップと言わんばかりに勢いよく振り返り父に助けを求めるが、父は上半身を後ろに倒して両腕で体を支え、さっきまでの表情と変わらずに私をじっと見つめている。

助けに来てくれる気配は全くない。ひどい。

 

こうなったら自分でなんとかするしかないと思い、再び私は銀色のレバーと向き合った。

右手でレバーの右側面、左手で左側面を支えて、全体重を回転する方向に預ける。

少しずつ傾き始めると、両手を離して軽くなったレバーを片手で回し切る。

 

そのまま「ガチャン」と気持ちの良い音が響いて、同時に胸が弾んだのを感じた。

 

カプセルを取り出して、急いで中身が何かを確認しようとするも、カプセルはしっかりと口を閉じていて開けられない。硬い。

 

さすがにこれは無理だろうと思ったのか、父は身体を起こして右手を差し出してくれた。

そして、両手でおにぎりを握るようにぎゅっとカプセルを潰して開けてくれた。

父の「わはっ」という笑い声とともに中から出てきたのは、私が手に入ると信じてやまなかったフィギュアとは程遠い、おもちゃのゴキブリだった。

私はわかりやすく落胆した。

 

 

買い物を済ませ家についた頃には、ガチャガチャを回したことなどすっかり忘れていた。

大好きなお菓子を買ってもらい、それに夢中になっていたからだ。

 

お菓子に満足した私は、母から"買い物リスト"を託されていたのを思い出し、台所で料理をつくっていた母のもとに走っていった。

そしてカバンの中から"買い物リスト"を取り出し母に返した。

そのついでにガチャガチャで「ゴキブリ」が当たったのだと説明し、そのままゴミ箱に捨てようとした。

 

するといきなり母が、

「捨てずに持ってなさい!」と大声で怒鳴った。

 

私は訳がわからず、ポカーンと母を見上げた。

 

どう見ても私が持っているのは「ゴキブリ」で、どうがんばっても「ゴキブリ」だったので、母は私にそれを大事に持っていなさいと言ったのが理解できなかった。

夏場は奴らのせいで、キーキー言いながらゴキジェットを振り回しているので、てっきり母は奴らが大嫌いだと思っていたのに、どうして怒っているんだろうと混乱した。

 

母は、

父が私の喜ぶ顔がみたくてお金を出したのだから、例え「はずれ」商品だったとしても、父の想いがこもっている、だから捨てないで欲しいと言った。

怒られたショックで落ち込んでしまった私は、母の言葉をとりあえず理解したふりをした。そして、トボトボと自分の部屋に戻り心を落ち着けた。

 

結局、そのときの母の顔がずっと忘れられず、高校生に上がるまで私の引き出しの中には、物につぶされてペラペラになったゴキブリくんが住んでいた。

 

年末の大掃除のたびに捨てようとしたけど、ゴキブリくんを見ると、あの時の母の表情がパッと浮かんだ。本心ではかなり気持ちが悪かったけれど、それなりに愛着も湧いてきたのでしばらくは引き出しの中でそのままにしておいた。

 

そして、高校生にあがると同時に、私たちは引っ越すことになった。

いらない物と次の家に持っていく物をダンボールに仕分けしているとき、例のゴキブリくんと再び目があった。

やっぱりあの時の母の表情を鮮明に思い出すことができた。

眉間のシワ、泣きそうな表情、こういう記憶は細かいところまで覚えているから不思議だ。

 

私はおそるおそる、

「これ...もう捨てていいかな?」

と母に尋ねてみた。

 

すると母は、

「えー!なにこれ!気持ち悪い!!」

と言ってさっさといなくなった。

 

あまりにあっけなく言われたにもかかわらず、そりゃそうだよなぁ、なんて妙に納得して思わず声に出して笑った。

あの時よりも成長した手のひらにのったゴキブリくんは、小さくて、ちょっと薄汚れていて、でもやっぱりゴキブリだった。

 

それでもゴミ袋に入れるのを少しためらった私は、

「ありがとうね」

とお礼を言って、父の優しさと母の寂しそうな表情だけを胸にしまいこんだ。