れもんの散歩道

楽しいことみつけた

むかし話①

この間、昔通っていた塾の前を通った。

その塾の塾長は、小・中学生の頃とてもお世話になった人で、勉強の楽しさを教えてくれた先生の1人だ。

 

わたしが塾にかよっていた頃の塾長の容姿を例えるなら、スラムダンク安西先生を一回りコンパクトにした感じだった。

髪は真っ白なのに、老いを感じさせない手入れの行き届いた雰囲気があった。

年齢は教えてくれなかったけど、成人した息子が2人いる話と、初孫がかわいくて仕方ない話を休み時間にしてくれた記憶がある。

私の父親も、その塾長から勉強を教わっていたことがあったので、最低でも20年は塾で生計を立てていたことになる。

 

で、今考えると大変失礼な話なのだけれど、小6の頃に、

「死が迫ってるってどんな気持ち?怖い?」

と塾長に聞いたことがあった。

 

自分のことながら子供の無邪気さとは恐ろしいものだなぁ〜と思う。

悪気なんて1mmもなかったし、純粋に私が「死」に対して初めて興味を抱いた時期だったから、身近な大人に訪ねてみたかったんだと思う。

自分よりも先に「死」に直面する確率が高いであろう人間を本能で察知しただけだ。

わたしの大真面目な表情をみて、塾長も思わず声を出して笑ってくれてた・・・ような気がする。

 

で、塾長が答えたのはこう。

「今はもう怖くないよ。」

塾長は笑うと目がなくなって、仏様みたいに優しい顔になる。

 

「昔は怖かった?」

また聞いた。

 

「女房に出会う前は、死ぬことなんてちっとも怖くなかった。こう見えて毎日危ないことばかりしていたからね。でも、子供が生まれて家族をもったら、死ぬことがとても怖くなった。人は守りたいものがあるとき、死ぬのが怖いと思うんじゃないかな。」

 

「へぇ〜なるほどぉ〜」

 

全然わからなかったけど、そういうものなんだぁ〜と思った。

 

「じゃあ、今はもう守りたいものはないから、死ぬのが怖くない?」

 

「そうだね。」

 

「この塾は?守りたくない?」

 

「大事だよ〜ものすごく。」

 

「じゃあまだ死ねないね!」

 

「言われてみると、たしかに。」

また塾長の目が細くなった。

 

塾長の死を回避させたのはこの私だ。と言わんばかりに飛び跳ねて、私はまた友達の輪に混ざりにいった。

 

そんな昔話を思い出しながら、塾からもれた光をみて「塾長、まだ生きてるかな」なんて思った。

もちろん、塾長がご健在であることは知っている。

でも「死ぬ」ことの本当の意味がわかった小学6年生の私は、きっと、塾長がまだ生きていますように。と祈ってるはずだった。

 

すみれもん

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